糖尿病専門医、内分泌代謝・糖尿病内科専門医
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院長駄文

Doctor column

第2回 東日本大震災と肉眼解剖学実習の想い出

2026年3月11日(水)

 
震災から15年が経ちました。当時、医学部1年生が終わった春休みでしたが、2年生の授業開始も1ヶ月ほど遅れ、仙台で医学の勉強を続けられるかどうか、不安に思った記憶があります。今にして思えば、自分がどのような医師を目指すのか、改めて考え直すきっかけとなる出来事でした。
 
その年、医学部2年生になって、肉眼解剖学実習がありましたが、こちらも医師としての覚悟が問われました。一通りの実習が終わった最後に、感想文の提出を求められました。当時の自分なりに考えて、少し風変わりな感想文にしたので、御紹介します(一部加筆修正あります)。
 
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肉眼解剖学実習感想文:タイトル『五人組』  小野寺啓
 
 東北大学医学部医学科の肉眼解剖学実習は、五人一組で行われる。
「それでは、始めて下さい。」
 初日、教官から一通りの説明を受けると、学生達は経験したことのない現実に直面する。
 最初の課題は体表面の皮膚を薄く剥いでいく、通称「カワハギ」である。実習で避けて通れない第一歩で、学生はここでメスとピンセットの使い方を覚え、御遺体への接し方を心得る。
「始めて下さいって、言われても・・・。」
 Aさんのつぶやきは、全員の心の声だった。
「・・・隣は始めちゃってるね。」
 周りを見回すのはBさん。実際、躊躇しない学生はいない。講義を受けて、教科書を読んで、というそれまでの勉強とは、勝手が違い過ぎる。
 Cさんの口元が、力なく動いた。
「どうしようか・・・?」
 それは、誰が最初にメスを入れるか、という意味である。ジャンケンをするのも不謹慎。誰かが意を決するしかないのだが、誰もが覚悟を欠いていた。
「でも、まあ・・・、座っているだけじゃ、まともな医者にはなれんさ。」
「・・・よし、やるか。」
 恰幅の良い、七福神の一人のようなDさんに背中を押されて、私はメスを入れた。思ったよりも簡単に、スーッと皮膚が分かれると、皮下脂肪の鮮明な黄色に、すっかり目を奪われる。
 そこから先のことは、あまり良く覚えていない。肋間神経の前枝と外側皮枝、広頚筋と鎖骨上神経を同定し、教官に確認してもらって実習が終わるまで、文字通り熱中した。
 自宅に帰るや否や、布団に潜り込んで泥のように眠り込んだ。ひどく疲れていたのだろう。立ちっぱなしという身体的な疲労と、極度の緊張という精神的なそれだけではない。
 実習では、自分が何故医者になりたいのか、その覚悟や理由を何度も問われる。医者という職業がどういうものかも、否応なく実感させられる。中途半端な取り組みでは、得られることはほとんどなく、積極的に取り組んで初めて、自分に返ってくる。
 後になってふと思った。医者と自分とを『=』という等号記号で少しずつ結んでいくプロセスが、肉眼解剖学実習なのではないか、と。
「あーあ・・・。」
 結局、自分がなんらかの意味で準備不足だったことを知り、初日が終わった。
 
 腕神経叢は実習前半のヤマ場である。
「まず3本横に線を引いて、アミダを作る要領で線を加えて、YとMを重ねてハイできあがり。」
 表情を変えず、目を細めて笑みを浮かべるDさんが、腕神経叢の作り方を教えてくれた。
 肉眼解剖学実習に並行して地域医療実習があるが、おかげで橈骨神経麻痺や脊柱管狭窄症など、臨床現場での専門用語も理解することができた。
 患者さんの体表面から、自信を持って、見えないものを見ることができる。
「結構、分かるもんだね。」
「いちおう、解剖やってますので・・・。」
 指導役の医師に、知っていてアタリマエであるかのように頷く。
「あの患者さんにはロキソニンを出しておいたから。」
「はい。ロキソニンだけでいいんですか?」
「あの患者さん、他の病院でもイロイロ貰っているようだから、ね。」
 薬理学の知識はもちろん怪しかった。それでも『知らない』とは言えない私は調子に乗って話を合わせて、後から調べる。医者になるには、とにかくたくさん覚えなければならない。だから、覚えるきっかけは多ければ多いほど良い。焦りもプレッシャーも、利用できるだけ利用する。
 
 一ヶ月ほど経って中間試験が終わると、実習は腹腔や下肢に移った。私はここでインフルエンザに罹り、数回の授業を休んでしまう。
 久々に出席すると、目の前の光景がさっぱり分からない。そもそも腸間膜とは何なのか、門脈系の血管がどのように走行しているのか、初期状態を知らないから、全く想像できない。
 他の四人に頼み込んだ。
「すみません、このへんさっぱり分からないんだけど・・・。」
 途方に暮れた私を救ってくれたのも、ニヤリとしたDさんだった。
「簡単だよ。腸間膜ってのは、二枚の膜が重なっている部分で、ここの中を胃腸や血管が走っているんだね。胃腸を包むところは間膜とは呼ばないで、胃腸を包んでいない二重膜部分を間膜と呼ぶんだ。で、この二枚の膜は背中側の体壁につながっていると。」
 大網の名残をひっくり返したりしながら、なんとか追い付こうとした。肉眼解剖学実習は、人体を覚えるためにある古来由緒正しい授業である。決して休んではいけないし、休もうなどと考えてもいけない。
 
 師走を迎えて口答試験を乗り切ると、花束を用意して納棺になる。その日、いつもの五人組は四人組になった。
 Dさんには、もう逢えない。
 私はいつも、解剖実習中に使われる「御遺体」という表現に違和感を感じていた。もちろん、敬称であることは分かる。だが、何度も何度も私に語り掛けてくれるDさんは、無機質な物体ではない。
 『人は二度死ぬ』という。
 一度目は、物理的な死であり、二度目は、その人を知る人々がすべて亡くなって、思い出してくれる人がいなくなったとき、だそうである。
 だとすれば、逆説的ではあるが、私の記憶に新しく刻まれたDさんは、二度目の生を受けたことにはならないだろうか。
 実習中ずっと感じていたのは、献体となったDさんの強い遺志、遺志というよりは意志である。医学教育に貢献しようという、常人にはとても真似のできない、厳しさと優しさを同居させた人格。死してなお家族を待たせ、公人として生きようとする、毅然として深い包容力のある人間性。
 私を教え諭してくれたのは、そういう一人の人間だった。
「今後とも、くれぐれもよろしくお願いします。」
 私が死ぬまで、私の中で生き続ける。
 最初の別れだというのに、棺の中のDさんは、いつもと同じ大黒天スマイルだった。
 
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白菊会は、医学および歯学の発展のため、死後に自分の肉体を解剖学の実習用教材となる事を約束し、遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに御遺体を提供する「篤志献体」の組織です。
 
2012年3月9日、東北大学白菊会の遺骨返還式があり、御遺族を相手に学生代表謝辞を述べる機会がありましたので、当時の文面を探してきました。
 
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 謝辞
 
 まず、一年前の大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
 一年生が終わったばかりの、春休みでした。東北大学のカリキュラムだと、組織学や生理学といった、医学部らしい授業が始まるのは二年生からです。いったん他の大学を卒業して、サラリーマンを勤めた後に医学部に入り直した私は、これを心待ちにしていました。
 そんな時、大きな地震が来ました。福島原発事故の経過にピリピリしながら、生協やスーパーの長蛇の列に加わり、「ひょっとしたら、今後は仙台で生活できなくなるかもしれない」、「東北大学で、医学の勉強を続けることが、できなくなるかもしれない」などと、漠然と考えていた日々が思い出されます。それが今、再び春の気配を感じながら、無事二年生の勉強を終えてここにいることに、少なからず幸せを感じずにはいられません。
 医学部らしい授業の最たるものは、やはり解剖学実習です。実習では一人の献体に学生四人が付き、人体の構造について多くのことを学びました。ですが、個人的には、本当の授業は、人間が死ぬとはどういうことなのか、生きているとはどういうことなのかを、考えることにあったようにも思います。医者という職業がどういうものなのかを、少しずつ実感していきました。
 「病気を診ずして病人を診よ」という言葉があります。医者はつい患者さんの病気のことばかりを考えてしまうが、もっと患者さんを全人的に見るべきだ、というような意味です。解剖学実習が進むにつれて、この言葉が少しずつ身に染みて来ました。実習中、約三ヶ月もの間一緒にいると、故人がどんな家庭を持ち、どんな仕事をしていたのか、どんな人生でどんな喜びや悲しみがあり、どのように病と闘い、どうして最後に献体となることを選んだのかと、思いを巡らすことが増えました。
 今日は、そうした疑問の一つが解消される日です。御遺族にお会いすることで、故人がどんな人だったのかを、朧気ながらにも推し量ることができ、とても嬉しく思います。
 また、合同慰霊祭や納棺の儀など、故人に感謝の意を示す機会はこれまでも何度かありましたが、御遺族にお礼を申し上げる機会はこれが初めてです。献体となるには、本人が希望するだけでなく、御遺族の同意が必要です。「医学教育に貢献する」という大義を頭では理解できても、遺骨が返還されるまで長く待たねばならないという状況は、感情的にはなかなか納得できないもので、納骨もできず、落ち着かない日々を過ごされたことと思います。
 そうした不利益にも関わらずに故人の御遺志に同意し、今日の日まで、大切な人の帰りをお待ち頂いたことを、医学部医学科学生一同、深く感謝致します。有難う御座いました。
 
 平成二十四年三月九日 東北大学医学部医学科二年 小野寺啓
 
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震災と解剖学実習を想い出すたびに、ちゃんとした医者にならなければならないな、せめて偏差値50以上の医者でありたいな、と初心に戻されます。
 
これからの一年も、もうひと踏ん張りですね。
 
2011年4月 女川町でボランティア活動をした時の写真です。
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